螺旋階段
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自分に誇れる生き方がしたい

「――悟空。これがアタシの生き方だから。
…アタシ達にはアタシ達なりの誇りがあるんだ。
たった一人の家族も、育った村も――。
大事な物を全部奪われて、ただ黙ってるなんてできない。
それが愚かな事だとしても――、
アタシは、自分に誇れる生き方がしたい」

(峰倉かずや「最遊記RELOAD」第8巻/一迅社より)



要はプライドの問題だと思う。

それが他者から見て愚かなことであっても、

自分がそれを誇りだと思えるのなら、それは愚かでも何でもない。

美しいプライドだ。
私は他者の目を恐れて戦々恐々としつつ、

誇りなんて呼べるわけもない下らないプライドを捨て切れずに居る。

甘いな、と思う。
プライドは生きていく上に不可欠なものだが、

中途半端なプライドなら寧ろ捨てた方が良いのだろう。


峰倉 かずや
最遊記RELOAD 8 (8)

I'm ready to fight you

Oh Flying People 僕らはいつも盲目に追いかけている
Oh Flying People 何も見つけられないままで死にたくはない
止まることが許されない
Maybe my world's always upside down
Maybe my soul's already down,
But I'm ready to fight you
I'm ready to fight you
I was a part of you
Oh Flying People

I'm ready to fight you
I'm ready to fight you
I was a part of you
But I'm still gonna fight you

(CORE OF SOUL「Flying People」より)



 この歌を作ったCORE OF SOULというのは3人組のユニットなのだが

(惜しむべくは既に解散してしまった)、

3人が3人ともアメリカンスクール出身のバイリンガル

(もしかしたらトリリンガル?)で、英語が堪能。

Flying Peopleという言葉の概念がよく掴めないのだが、

flyingという単語には慌ただしい、とか、そういう意味もあるらしい。
この「Flying People」を聞いていて、

何となく、私も戦ってやるぞ、という気分になってきた。

何と戦うのかは、よくわからない。

多分、でも、私は自分自身と戦うのだろう。

私だって、何も見つけられないままで死にたくはない。

私は、戦う。
I'm ready to fight.


CORE OF SOUL, ソン・ルイ & 中村蕗子, 小倉博和, 中村蕗子, 高橋圭一 & ソン・ルイ, コア・オブ・ソウル
Flying People(CCCD)

君を失くし

泣き顔や笑顔や折り重なる想い出が
あふれて あふれて 何も見えない


どうして 僕はここで 何を求め生きるのだろう
ちっぽけな夢にすがって 君を失くし それでもまだ…


(クレヨン社「星など見えぬ街で」/アルバム「THE BESTⅡ」より)



別れた男の思い出が、不意に溢れ出す時が有る。

落ち込んでいた顔、笑顔、一緒に飲みに行ったこと……。

溢れ出した思いでに、胸が詰まるような思いになることが有る。

そんな時、どうして自分は、何を求めて、この場所で生きるのだろう、

と思うことがある。愛した男を失って、なお。

喪失感、だと思う。この歌が表しているのは、

どうしようもない程の喪失感、だ。

本当はそういった喪失感を抱えてなおまだ前進し続ける、

というのが本当の強さなのだろうけれど、

そこまで私は強くはなれなくて、

溢れ出した思い出の前で、ただ、立ちすくんでいるだけだ。



自分に殺される

「生き方が雑だと言ったんだ。

そのままではいつか自分に殺されるぞ」


(日本橋ヨヲコ「少女ファイト」第1巻/講談社より)



自分のことを言われているようで、

物凄く胸に突き刺さった言葉だった。

私は時々死にたい、死にたい、と思うことが有る人間で、

そういう風に自分が思うのは、

生き方が雑な所為かもしれない、と思った。

確かに、丁寧に生きている自覚は無い。

貫く信念も愛も無く、ただ行き当たりばったりで、

雑に生きてきた。

……私もいつか、私に殺されるのだろうか?


日本橋 ヨヲコ
少女ファイト 1 (1)

大きな迷子

「シゴトもオトコもクラシもハンパで、

お姉ちゃんは……、

お姉ちゃんは大きな迷子だ……」


(一色伸幸/おかざき真里「彼女が死んじゃった。」第1巻/集英社より)



後に自殺してしまう姉・ゆかりを語る妹・玲子の台詞。
まるで、自分のことを言われているようで、どきっとした。
仕事も中途半端、男も中途半端、
暮らしは半端と言うよりカオスの世界。
私も、大きな迷子なのかもしれない。
……でも、行き先がわからなくても、迷路の中でも、
歩き続ける、しかないのだ。
(2006.2.22.)


一色 伸幸, おかざき 真里
彼女が死んじゃった 1 (1)

それでも愛している

くじけた夢を忘れたふりして
何にもなかったように笑いながら
今夜あなたは打ち明けるだろう
新しい未来語り始めるだろう
それでも愛していると答える私の唇に似合うルージュの色は何?


(篠原美也子「HOPE」/アルバム「us」収録より)



その男がどんな男であっても、
夢を諦めようとしている男であっても、
例えば浮気性の男であっても、
例えば金にだらしない男であっても、
愛してしまったらもう、気持ちは止められない。
愛しぬくしか、ないのだ。
周りがどう言おうと、自分の気持ちは自分でだって変えられない。
自分の気持ちに嘘は吐けない。
愛してしまったら、愛しぬく、だけで。
(2006.1.28.)


篠原美也子
us

決断を迫られる機会が多いのは女のほう

今、決断を迫られる機会が多いのは女のほうだと思う。


(村上龍「ダメな女」光文社文庫より)



これは、本当のことだと思う。
その大きな原因は、恐らく出産。
産まれた時から(もしかしたら母胎に居る時から)卵子を持っていて、
後は古びていくその卵子と一緒に生きるしかない女は、
かなりの年齢まで出産を考えることが出来る男と違って、
出産の期限というものを考えざるを得ない。
だから、それに伴って結婚や仕事のことを考えて、
決断しなければいけなくなるのだと思う。
毎月月経が来る度に、どうして産むあてもないのに、
こうして月経を受け入れなければいけないのだろう、と思うけれど、
そして女は決断を迫られるから辛いと思うのも事実だけれど、
だからといって、男になりたいとか男として産まれれば良かった、
とは、私は思わない。
(2006.2.19.)


村上 龍
ダメな女

かわいそうな人

「脚を開いた女の数でしか自分を確かめられない。
かわいそうな人」


(一色伸幸/おかざき真里「彼女が死んじゃった。」第1巻/集英社より)



自分と寝た女が使った歯ブラシを集めている男・ハジメに、
一夜を共にした女・ゆかりが言った台詞。
脚を開いた女の数だけではなく、
何かで自分を確かめなければならない人は、
きっとみんな可哀想な人だ。
だって、本当は自分は確かめる必要なんかなくて、
そこに生きているだけで、自分は自分、なのだから。
(2006.2.22.)


一色 伸幸, おかざき 真里
彼女が死んじゃった 1 (1)

当り障りの無いYesは危険

ほんとうのこと話してよ うまく行かないその理由を
間違いはいつ? 悪いのは誰? 足をとられて転んでるだけ
機嫌を取っているだけじゃほんとうの恋は出来ない


穏やかな日々の中で飲み込み過ぎた言葉で息が詰まる
言わない 言えない ほんとうはどっち? 当り障りの無いYesは危険
当り障りの無いYesは危険
(篠原美也子「DOWN」/アルバム「河よりも長くゆるやかに」収録より)



本当のことを教えて欲しい、と切実に思うことがある。

どうしてうまくいかないの? 何故?
何が悪いのだろう? 私が悪いの? あなたが間違ってるの?
そう、尋ねたくてどうしようもない時がある。
でも、実際はどうすることも出来ずに、
彼の言葉の前に曖昧な笑顔を作って、頷くだけだ。
……でも、それは、とても危険なこと、なのかもしれない。




篠原美也子, 西本明, 中山弘, 上杉洋史
河よりも長くゆるやかに

愛と憎しみとは同質の感情

つまり愛と憎しみとは同質の感情であって、
ただその表現が裏表になっているのだ。
別の言い方をすれば憎しみは、
相手に対する関心を前提としているだけ
まだ救われているのである。
関心のない相手には憎しみも愛も持ちようがない。
憎しみは醜い関心の形ではあるが、
少なくともそれが突然愛に変る可能性だけは持っている。
(曽野綾子「誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚」角川文庫より)



この文章を読んで、少しほっとした。
自分が憎しみの塊の様になっていて、
自分でも苦しい時が有る。
誰かを憎んでいること自体が苦しいし、
憎しみの感情を持っている自分に罪悪感を感じる。
だけど、この文章を読んで、
ああ、愛されないから、憎むんだな、と思った。
どうでもいい相手を、憎んだりはしない。
少なくとも私の場合は、
愛して欲しい相手に愛されないから、
本当は愛している筈のその相手を憎むのだ。
私は被害妄想的で殆どの人間に嫌われている、
と思いこんでいるような部分があるから、
私が憎しみの塊になってしまうのは当然なのだけれど、
もし私にそれが出来るのなら、
憎しみを愛に変えることが出来るのなら、
変えていきたいな、と思った。
だって、その方が自分も相手も楽になるのは、
分かり切っていることなのだから。
多分、愛されない、という淋しさと切なさに、
耐える強さだけが有れば、愛することが出来るのだ。
そういう強さを、身に付けていきたい。


曾野 綾子
誰のために愛するか―すべてを賭けて生きる才覚
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