一つも解らなくて
何を恐れて 何が必要なのか
雀が鳴くまで 考えたって 一つも解らなくて
(BUMP OF CHICKEN「Title of mine」/アルバム「jupiter」収録より)
*
それは分からない、と感覚的に思う。
自分が、同じようなことをしてきたから。
一晩中考えたって、何もわかりはしない。
だから、最近は、眠れなければ、起きているようにしている。
人間、眠らなければ死んでしまうので、
大丈夫、いつかは眠れる。
(でも、何も悩まない人より悩む人の方が百倍素敵だと個人的には思う)
(2005.6.26.一部改稿)
- アーティスト: BUMP OF CHICKEN, Motoo Fujiwara, Hiroaki Masukawa
- タイトル: jupiter
醜悪だと思いますね
本当にいるんだよね、
インターネットで世界に繋がっていると
思っている人が。
そういう人が、
自分のホーム・ページに
日記を載せていたりするんですけど、
醜悪だと思いますね。
(「村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ」より、村上龍の発言)
*
まるで自分のことを言われているようで、ちょっとどきっとした。
でも、インターネットで世界に繋がっているとは微塵も思っていないし、
大体日本語と英語以外のサイトを開いてもちっとも読めない。
そもそもインターネットで誰かと繋がっているという感覚自体、
私には無いけれど。
だけど、ホームページ自体はもう4~5年前から作っているけれど、
日記を載せることの意味や良し悪しは、
4~5年前からずっと考え続けて、でも、まだ、わからないでいる。
(2005.6.26.一部改稿)
- 著者: 村上 龍, 中上 健次
- タイトル: 存在の耐えがたきサルサ―村上龍対談集
泣いたのは
わたしは現実の生活というものが実感できず、
とりとめのない会話を交わしたり、
食事を楽しんだりするという、
彼の白い歯に象徴されるような健康な暮らしと無縁なばかりか、
前世で既にそのような血脈からは追放されているのではないか
という思いを棄て去ることができないのだ。
わたしが泣いたのは、彼を失うことによって、
現実、あるいは生活といったものを永遠に失ってしまったからだ。
わたしは子どもを生むこともなくいつか子宮を奪われ、
孤独に死ぬという宿命を受容するしかないと思いを定めた。
(柳美里「男」メディアファクトリーより)
*
現実はいつも、人間の想定を超えるものだ。
だから、良い意味でも悪い意味でも、
何らかの形で「自分」や「自分の可能性」や「自分の未来」を、
定義してしまうのは誤りだ。
良い意味で定義するとそれはアホなナルシシストになるし、
悪い意味での定義もそれは不幸への逃避であり、
不幸な自分への自己陶酔という意味で、
結局ナルシシズムと何の変わりも無い。
最近は子供を産んだりして柳美里も以前よりは幸せなのかな、
と思うけれど、基本的に他人のことだし、
取り敢えず自分はもう不幸への逃避は止めよう、
という意味でこのテキストを書いた。
これも一種のナルシシズム?
(2005.6.26.一部改稿)- 著者: 柳 美里
- タイトル: 男
空洞
もう何年もたってるけど、
どうすればいいんだろうという思いは、
今も残ってます。
例えば『ヒュウガ・ウイルス』や『ピアッシング』を
中上さんはどう読むだろうか?
とよく考えます。
ぽっかり穴があいたというか、
空洞みたいなものがあって、
それは決して埋まらないですね。
とても孤独だし。
(「村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ」文藝春秋より、村上龍の発言)
*
村上龍が中上健次を亡くした喪失感を語る部分。
この発言を読んで、そうか、と思った。
開いてしまった穴は、埋めなくてもいいんだ、と思った。
孤独でもいいんだ、と思った。
空洞を抱えながら、それでも生きていくことが、
きっと、多分、大切で重要なのだ。
世間では淋しいこと、虚しいこと、孤独なことは、
まるで良くないことの様に言われているから、
つい勘違いしてしまうけれど、
必要なのは、それらを全部受け止めて抱え込んで、
それでもきちんと歩き続けることなのだ。
(2005.6.26.一部改稿)
- 著者: 村上 龍, 中上 健次
- タイトル: 存在の耐えがたきサルサ―村上龍対談集
愚かな恋をした
誰かのものだと知っていても
迷わずあなたを選んでしまった
白い月が笑っているよ
愚かな恋をした
情けなくて あきれ果てて
会いたくて 会いたくて 会いたくて
(篠原美也子「白い月」/アルバム「us」収録より)
*
一目惚れ、という言葉が在るように、
誰かに恋をする時、
必ずしもその人の全てを知ってから恋するわけでは無い。
恋してしまってから、その人の意外な面を見付けてしまって、
しまった、と思うことだって多い。
そこで恋心が冷めたなら、そしてまだ引き返せるところに居たならば
(女で言えば体を許す前、というのが私の判断基準だが)、
そこで終わりにしてしまえばいい。
でも、それでも、自分の恋心が終わってくれない時は、
もうどうすることも出来ない。
場合によっては(相手が妻子持ちだったり)、
その気持ちを表現することを自分で抑えることもあるだろうけど、
でも、自分でも愚かだとどれだけ思ったって、
生まれてしまった恋心は、会いたい、という気持ちは、
消すことが出来ない。
(2005.6.26.一部改稿)
- アーティスト: 篠原美也子
- タイトル: us
庇護
終身雇用幻想が機能する共同体では、
「庇護」されることが最も重要になる。
(村上龍「蔓延する偽りの希望」幻冬舎文庫)
*
私は誰かに「庇護」されている状態、というのが嫌いで、
そういう状態から脱することばかりを追求して生きてきた。
誰にも守られない、というのは、同時にひどく淋しいことでもあるけれど、
その淋しさに負けずに凛と胸を張っていられる強さが、勇気が、
……欲しい、と切実に思う。
(2005.6.26.一部改稿)
- 著者: 村上 竜
- タイトル: 蔓延する偽りの希望
見捨てられないために
また、場合によると、
見捨てられる不安が強く、
いつ自分が見捨てられるかわからないという被害感、
マーラーの言うラプロシュマンの段階で体験されるような
分離不安が強烈で相手から見捨てられないために、
自分から相手を見捨てて飛び出していくというような
行動をとることもある。
(小此木啓吾「境界パーソナリティと現代の人間像」iamgo1990年10月号/青土社より)
*
これは境界パーソナリティー障害の人に特有な、
行動パターンを説明している一説。
私は常々自分が境界パーソナリティー障害ではなくても、
境界パーソナリティーの持ち主であることは自覚していたけれど、
このパターンは面白い程よく私の行動パターンに当てはまる。
男と付き合うと、ほどほどに幸福になった辺りで、
別れてしまったらどうしよう、
捨てられてしまったらどうしよう、
という強烈な不安に襲われて、
相手に捨てられるのは嫌だから、怖いから、
自分から別れてしまう。
当然相手は「?」だし、周囲にも怒られる。
本当は、そんな不安に、意味など、無い、し、
そんな意味の無い不安を乗り越えても、
愛し抜く、強さが、欲しい。
(2005.6.26.一部改稿)
荒野めざす風になろう
My Love Your Love 今 君を連れて
荒野めざす風になろう
(渡辺美里「My Love Your Love(たったひとりしかいないあなたへ)」/アルバム「うたの木 Gift」収録より)
*
抽象的で難しい言葉だけれど、
何故か不思議な爽快感がある。
荒野ならば、安息・安住の地では無い筈。
心安らげる場所ではなくて、
山程の苦難と困難が待ち受けている場所。
でも、そこにふたりで旅立とう、というような意思が、
何だか感じられるような気がする。
愛する人に、ふたりで、
荒れ果てた場所に飛び込んでゆこう、
と呼び掛けるこの歌が、
何だかプロポーズの言葉みたいだなあ、と思ったり。
だって、人生は苦難と困難に満ちた旅、なのだから。
(2005.6.26.一部改稿)
- アーティスト: 渡辺美里, 斎藤恒芳, 大江千里
- タイトル: うたの木 Gift
ありがとう
あなたに出会えた 今はそれだけ
この世のすべてに ありがとう
(篠原美也子「流星の日」/アルバム「bird's-eye view」収録より)
*
時々、ふっとこういう気持ちもあったな、と思う時が在る。
自分を振り向いてくれない、
いつも背中ばかりの男に疲れた時、
曖昧な言葉ではぐらかされながら、
何だか都合のいいように男に使われている時、
でも、最初は出会えたことすら本当に嬉しかったんだ、
とふと思い出す時がある。
その男に出会って、好きになっただけで、
本当は物凄く幸福だったのだ。
だって、愛する人間の居ない人生ほど淋しいものは、
きっと、無いと思うから。
大丈夫、誰かを愛せるうちは、まだ、大丈夫だよ。
そのことに感謝出来る間は、
どんな時だって、きっと、本当は、幸せなのだ。
あたしに出会うまで生きてきてくれて、
この世に生まれてきてくれて、ありがとうね。
そう伝えたいけれど、いつも伝えられないままに、
何だか下らないゴタゴタの中で愛は行き場を見失って、
いつも宙ぶらりんで胸の中でひっそり眠っている。
(2005.6.26.一部改稿)
- アーティスト: 篠原美也子
- タイトル: bird’s-eye view
不全感
「何かが足りないという“不全感”をモノで埋めようとするんです」
(SPA!2005年4/19日号より精神科医・春日武彦の発言)
*
「ビンボー人ほど、部屋にモノがあふれている傾向がある」
という記事のコメントより。
これは、物凄く納得出来る。
私自身がそうだからだ。
部屋が汚い程、安心する。
片付いている部屋は、どこか落ち着かなくて、不安を覚える。
多分、私の中で何かが欠落している、
つまり「不全感」があるからだと思う。
その「不全感」が、私の恋愛を歪んだものにしたり、
仕事にのめり込ませたりしているのは、わかっている。
でも、散らかっている部屋は生活しにくい、
というのが感としてわかってきたので、
最近は少しは片付けるようにしている。