螺旋階段 -5ページ目

一つも解らなくて

何を恐れて 何が必要なのか
雀が鳴くまで 考えたって 一つも解らなくて

(BUMP OF CHICKEN「Title of mine」/アルバム「jupiter」収録より)



それは分からない、と感覚的に思う。

自分が、同じようなことをしてきたから。

一晩中考えたって、何もわかりはしない。

だから、最近は、眠れなければ、起きているようにしている。

人間、眠らなければ死んでしまうので、

大丈夫、いつかは眠れる。

(でも、何も悩まない人より悩む人の方が百倍素敵だと個人的には思う)

(2005.6.26.一部改稿)

 

アーティスト: BUMP OF CHICKEN, Motoo Fujiwara, Hiroaki Masukawa
タイトル: jupiter


醜悪だと思いますね

本当にいるんだよね、

インターネットで世界に繋がっていると

思っている人が。

そういう人が、

自分のホーム・ページに

日記を載せていたりするんですけど、

醜悪だと思いますね。

(「村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ」より、村上龍の発言)

 

 

まるで自分のことを言われているようで、ちょっとどきっとした。

でも、インターネットで世界に繋がっているとは微塵も思っていないし、

大体日本語と英語以外のサイトを開いてもちっとも読めない。

そもそもインターネットで誰かと繋がっているという感覚自体、

私には無いけれど。

だけど、ホームページ自体はもう4~5年前から作っているけれど、

日記を載せることの意味や良し悪しは、

4~5年前からずっと考え続けて、でも、まだ、わからないでいる。

(2005.6.26.一部改稿)

 



著者: 村上 龍, 中上 健次
タイトル: 存在の耐えがたきサルサ―村上龍対談集

泣いたのは

わたしは現実の生活というものが実感できず、

とりとめのない会話を交わしたり、

食事を楽しんだりするという、

彼の白い歯に象徴されるような健康な暮らしと無縁なばかりか、

前世で既にそのような血脈からは追放されているのではないか

という思いを棄て去ることができないのだ。

わたしが泣いたのは、彼を失うことによって、

現実、あるいは生活といったものを永遠に失ってしまったからだ。

わたしは子どもを生むこともなくいつか子宮を奪われ、

孤独に死ぬという宿命を受容するしかないと思いを定めた。

(柳美里「男」メディアファクトリーより)



現実はいつも、人間の想定を超えるものだ。

だから、良い意味でも悪い意味でも、

何らかの形で「自分」や「自分の可能性」や「自分の未来」を、

定義してしまうのは誤りだ。

良い意味で定義するとそれはアホなナルシシストになるし、

悪い意味での定義もそれは不幸への逃避であり、

不幸な自分への自己陶酔という意味で、

結局ナルシシズムと何の変わりも無い。

最近は子供を産んだりして柳美里も以前よりは幸せなのかな、

と思うけれど、基本的に他人のことだし、

取り敢えず自分はもう不幸への逃避は止めよう、

という意味でこのテキストを書いた。

これも一種のナルシシズム?

(2005.6.26.一部改稿)


著者: 柳 美里
タイトル: 男

空洞

もう何年もたってるけど、

どうすればいいんだろうという思いは、

今も残ってます。

例えば『ヒュウガ・ウイルス』や『ピアッシング』を

中上さんはどう読むだろうか?

とよく考えます。

ぽっかり穴があいたというか、

空洞みたいなものがあって、

それは決して埋まらないですね。

とても孤独だし。

(「村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ」文藝春秋より、村上龍の発言)



村上龍が中上健次を亡くした喪失感を語る部分。

この発言を読んで、そうか、と思った。

開いてしまった穴は、埋めなくてもいいんだ、と思った。

孤独でもいいんだ、と思った。

空洞を抱えながら、それでも生きていくことが、

きっと、多分、大切で重要なのだ。

世間では淋しいこと、虚しいこと、孤独なことは、

まるで良くないことの様に言われているから、

つい勘違いしてしまうけれど、

必要なのは、それらを全部受け止めて抱え込んで、

それでもきちんと歩き続けることなのだ。

(2005.6.26.一部改稿)



著者: 村上 龍, 中上 健次
タイトル: 存在の耐えがたきサルサ―村上龍対談集

愚かな恋をした

誰かのものだと知っていても 

迷わずあなたを選んでしまった

 

白い月が笑っているよ

愚かな恋をした

情けなくて あきれ果てて

会いたくて 会いたくて 会いたくて

(篠原美也子「白い月」/アルバム「us」収録より)

 

 

 

一目惚れ、という言葉が在るように、

誰かに恋をする時、

必ずしもその人の全てを知ってから恋するわけでは無い。

恋してしまってから、その人の意外な面を見付けてしまって、

しまった、と思うことだって多い。

そこで恋心が冷めたなら、そしてまだ引き返せるところに居たならば

(女で言えば体を許す前、というのが私の判断基準だが)、

そこで終わりにしてしまえばいい。

でも、それでも、自分の恋心が終わってくれない時は、

もうどうすることも出来ない。

場合によっては(相手が妻子持ちだったり)、

その気持ちを表現することを自分で抑えることもあるだろうけど、

でも、自分でも愚かだとどれだけ思ったって、

生まれてしまった恋心は、会いたい、という気持ちは、

消すことが出来ない。

(2005.6.26.一部改稿) 

アーティスト: 篠原美也子
タイトル: us

 

 

庇護

終身雇用幻想が機能する共同体では、

「庇護」されることが最も重要になる。

(村上龍「蔓延する偽りの希望」幻冬舎文庫)

 

* 

 

私は誰かに「庇護」されている状態、というのが嫌いで、

そういう状態から脱することばかりを追求して生きてきた。

 誰にも守られない、というのは、同時にひどく淋しいことでもあるけれど、

その淋しさに負けずに凛と胸を張っていられる強さが、勇気が、

……欲しい、と切実に思う。

 (2005.6.26.一部改稿)

 

 

著者: 村上 竜
タイトル: 蔓延する偽りの希望

見捨てられないために

また、場合によると、
見捨てられる不安が強く、
いつ自分が見捨てられるかわからないという被害感、
マーラーの言うラプロシュマンの段階で体験されるような
分離不安が強烈で相手から見捨てられないために、
自分から相手を見捨てて飛び出していくというような
行動をとることもある。

(小此木啓吾「境界パーソナリティと現代の人間像」iamgo1990年10月号/青土社より)

 

 

これは境界パーソナリティー障害の人に特有な、

行動パターンを説明している一説。

私は常々自分が境界パーソナリティー障害ではなくても、

境界パーソナリティーの持ち主であることは自覚していたけれど、

このパターンは面白い程よく私の行動パターンに当てはまる。

男と付き合うと、ほどほどに幸福になった辺りで、

別れてしまったらどうしよう、

捨てられてしまったらどうしよう、

という強烈な不安に襲われて、

相手に捨てられるのは嫌だから、怖いから、

自分から別れてしまう。

当然相手は「?」だし、周囲にも怒られる。

本当は、そんな不安に、意味など、無い、し、

そんな意味の無い不安を乗り越えても、

愛し抜く、強さが、欲しい。

(2005.6.26.一部改稿)

荒野めざす風になろう

My Love Your Love 今 君を連れて
荒野めざす風になろう

(渡辺美里「My Love Your Love(たったひとりしかいないあなたへ)」/アルバム「うたの木 Gift」収録より)

 

 

抽象的で難しい言葉だけれど、

何故か不思議な爽快感がある。

荒野ならば、安息・安住の地では無い筈。

心安らげる場所ではなくて、

山程の苦難と困難が待ち受けている場所。

でも、そこにふたりで旅立とう、というような意思が、

何だか感じられるような気がする。

愛する人に、ふたりで、

荒れ果てた場所に飛び込んでゆこう、

と呼び掛けるこの歌が、

何だかプロポーズの言葉みたいだなあ、と思ったり。

だって、人生は苦難と困難に満ちた旅、なのだから。

(2005.6.26.一部改稿)

 

アーティスト: 渡辺美里, 斎藤恒芳, 大江千里
タイトル: うたの木 Gift

ありがとう

あなたに出会えた 今はそれだけ

この世のすべてに ありがとう

(篠原美也子「流星の日」/アルバム「bird's-eye view」収録より)

 

 

時々、ふっとこういう気持ちもあったな、と思う時が在る。

自分を振り向いてくれない、

いつも背中ばかりの男に疲れた時、

曖昧な言葉ではぐらかされながら、

何だか都合のいいように男に使われている時、

でも、最初は出会えたことすら本当に嬉しかったんだ、

とふと思い出す時がある。

その男に出会って、好きになっただけで、

本当は物凄く幸福だったのだ。

だって、愛する人間の居ない人生ほど淋しいものは、

きっと、無いと思うから。

大丈夫、誰かを愛せるうちは、まだ、大丈夫だよ。

そのことに感謝出来る間は、

どんな時だって、きっと、本当は、幸せなのだ。

あたしに出会うまで生きてきてくれて、

この世に生まれてきてくれて、ありがとうね。

そう伝えたいけれど、いつも伝えられないままに、

何だか下らないゴタゴタの中で愛は行き場を見失って、

いつも宙ぶらりんで胸の中でひっそり眠っている。

(2005.6.26.一部改稿) 


アーティスト: 篠原美也子
タイトル: bird’s-eye view

 

不全感

「何かが足りないという“不全感”をモノで埋めようとするんです」

(SPA!2005年4/19日号より精神科医・春日武彦の発言)

 

 

 「ビンボー人ほど、部屋にモノがあふれている傾向がある」

という記事のコメントより。

これは、物凄く納得出来る。

私自身がそうだからだ。

部屋が汚い程、安心する。

片付いている部屋は、どこか落ち着かなくて、不安を覚える。

多分、私の中で何かが欠落している、

つまり「不全感」があるからだと思う。

その「不全感」が、私の恋愛を歪んだものにしたり、

仕事にのめり込ませたりしているのは、わかっている。

でも、散らかっている部屋は生活しにくい、

というのが感としてわかってきたので、

最近は少しは片付けるようにしている。