泣いたのは | 螺旋階段

泣いたのは

わたしは現実の生活というものが実感できず、

とりとめのない会話を交わしたり、

食事を楽しんだりするという、

彼の白い歯に象徴されるような健康な暮らしと無縁なばかりか、

前世で既にそのような血脈からは追放されているのではないか

という思いを棄て去ることができないのだ。

わたしが泣いたのは、彼を失うことによって、

現実、あるいは生活といったものを永遠に失ってしまったからだ。

わたしは子どもを生むこともなくいつか子宮を奪われ、

孤独に死ぬという宿命を受容するしかないと思いを定めた。

(柳美里「男」メディアファクトリーより)



現実はいつも、人間の想定を超えるものだ。

だから、良い意味でも悪い意味でも、

何らかの形で「自分」や「自分の可能性」や「自分の未来」を、

定義してしまうのは誤りだ。

良い意味で定義するとそれはアホなナルシシストになるし、

悪い意味での定義もそれは不幸への逃避であり、

不幸な自分への自己陶酔という意味で、

結局ナルシシズムと何の変わりも無い。

最近は子供を産んだりして柳美里も以前よりは幸せなのかな、

と思うけれど、基本的に他人のことだし、

取り敢えず自分はもう不幸への逃避は止めよう、

という意味でこのテキストを書いた。

これも一種のナルシシズム?

(2005.6.26.一部改稿)


著者: 柳 美里
タイトル: 男