螺旋階段 -7ページ目

セックスと避妊

結婚してない限り、セックスと避妊はワンセットなのだ。
(田口ランディ「スカートの中の秘密の生活」幻冬舎文庫より)



本っ当に当たり前のことなのだけれど、
このことが判っていない男が多過ぎる、と思う。
実は私はペーパー保健師なのだが、
一応家族計画等も業務のうちなので、学校で習った。
その一応専門的な知識に依ると、外出しは避妊ではないし、
コンドームも適切な使用をしないと避妊具としての役割を果たさない
(説明書をきちんと読みましょう)。
その男に逃げられても一人で堕胎する、
もしくは子供を育てる覚悟と経済力と精神的余裕が有る
(そんな女が居るのだろうか、あまり居ない気がする)
のならともかく、そうでないのなら、
避妊を嫌がるような男とは、
さっさと(出来れば一日も早く)別れるべきであろう。
その男は恐らく無責任で自分勝手で、
その上頭が悪い(知能指数が低いという意味ではない)
可能性が高いから。





著者: 田口 ランディ
タイトル: スカートの中の秘密の生活

正体

グローバルスタンダードというものの正体は
実はアングロサクソンスタンダードだったり
アメリカンスタンダードだったりする。
(村上龍「アウェーで戦うために」知恵の森文庫より)



……そうなんだよね。
村上龍も何度も何度も指摘していることだけれど、
ここのところ、言葉の文字通りの意味と、
その中身が食い違う日本語が多い気がする。
(いや、このところ、ではなくて、
 本当は昔からそうだったのかもしれないが、
 ……いや、でもそうではない気がする)
別にそのこと自体をどうこう言うつもりもないのだけれど、
そういう言葉によって伝えられた情報というのは、
絶対的な意味では正確ではあり得ないし、
どこか必然的に歪んできてしまう。
本質を見失っちゃ駄目だぞ、と、
常に自分に言い聞かせることが必要な時代、なのかもしれない。
今がどんな時代かなんて、あまり考えたくもないけれど。
でも考えないと、多分、馬鹿を見るんだろう。




著者: 村上 龍
タイトル: アウェーで戦うために―フィジカル・インテンシティ III

すこし淋しい

生きて行くだけの日々はゆるやかですこし淋しい
(篠原美也子「河を渡る背中」/アルバム「everithing is passing」収録より)



日本人だったら、生きていゆくだけなら、比較的簡単だ。
しかし、これが日本以外の国だとまた事情が変わってくる。
生きること自体が多大な困難を伴う国も在る。
そういう国の人々のことを思うと、
生きていられるだけで充分だよなあ、と感じるけれど、
でも、だけど、何故か、生きてゆくだけの日々は、
篠原美也子が歌うように、どうしようもない淋しさを伴っている。
どうしてかは、判らない、けれど。





アーティスト: 篠原美也子
タイトル: everything is passing

わからなくなって

時を重ねるごとに、ひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて、ひとつずつわからなくなって
(ポルノグラフィティ/「サウダージ」より)



確かに、恋とはこういうものだ。
最初は、相手のことが少しずつわかっていくような気がして、
或る地点まで行くと、今度は、
ただひたすらわからなくなっていくような感覚しかなくなる。
……と言っても、私は大体その地点に辿り着く前に、
分離不安に駆られて相手との関係を断絶してしまうので、
あまりこういう感覚は味合わない。
もしかして、関係が熟してきた途端に別れてしまうのは、
相手がわからない、という不安から逃れる為、
かも、しれないけれど。
相手のことなど判りはしないし、
相手も自分のことなど判るわけもない、
それでも一緒に居たい、と願う強さが欲しい、
そう思う、けれど。





アーティスト: ポルノグラフィティ, ハルイチ, ak.homma, アキヒト, シラタマ
タイトル: サウダージ

二度めはない

なぜ神の機嫌を損ねた巫女は、
みずから命を絶つほど重い責を負わされるのか。
それは、天つ神には許すという行為がないからなのだ。
しくじったら、やりなおすことはできない。
二度めはない。輝の御子にはそれが当然なのだ。
(荻原規子「空色勾玉」福武書店より)



「空色勾玉」は題名の通り、
古代日本を舞台にしたファンタシー作品だが、
上に引用したのは、
輝の宮で育った稚羽矢が「謝る」という行為を知らず、
主人公・狭也が当惑する場面。
「謝る」という言葉は、「誤る」から転じた言葉で、
間違いをしたことを自認することからきているという
(参照:岩波国語辞典)。
確かに、自分の過ちを認めなければ謝ることは出来ないし、
全知全能の神なら間違えることはないのだから、
「謝る」という概念を持たなくても当然だろう。
しかし、人間である限り、必ず間違いは犯す。
そんなことは分かっているのに、
そして自分が間違えてしまったことは分かるのに、
私は謝り方がいつも判らずに途方に暮れてばかりいる。





著者: 荻原 規子
タイトル: 空色勾玉

一番よくない

「すてばちになってはいけない。
過ちを認めるのに、一番よくない方法じゃ。
つぐなおうにも、つぐなえないものもこの世にはあるが、
それを知っていることと、
努力をしないこととは別じゃよ」
(荻原規子「空色勾玉」福武書店より)



謝るのが、苦手だ。
何を言っても何かをしてしまった後では、
もう言い訳にしかならない、という思いもあるし、
何を言ったところで取り返しがつかない、
という思いも常にある。
多分、自分が、謝られるのがあまり好きではないから、
かもしれない。
どうしてあまり好きでないのか、は、
自分でも、よく、分からない。

(注:私の手元にあるのは福武書店版ですが、
   現在は徳間書店版が主に流通しているようです)





著者: 荻原 規子
タイトル: 空色勾玉

震える体を抱いても

無理に震える体を抱いても(I love you, baby)
辛くなるのは俺だよ
失恋よりも切ないさ My heart(I need you, baby)
寂しいのは きっときっと
俺の方だよ Oh ナナ
(THE CHECKERS「NANA」/アルバム「THE CHECKERS」収録より)



今時こんな男は居ないんじゃなかろうか、
と懐かしい曲を聴いていてふと思った。
そもそも抱かれる時に男の前で震える女、
なんてものが今時存在しなさそうだし、
従ってそんな女を抱こうとして、
辛くなったり切なくなったり寂しくなる男もまた、
存在しないのではないか、と。
セックスはこの歌が作られた当時より、
ずっと当たり前で日常的でお気軽なものになった。
エッチ、という、曖昧で、婉曲的で、軽く、
寒々しい言葉に置き換えられるうちに。
女も男も、相手が余所で姦ってないかを気にするくせに、
自分はあっけらかんと大して悪気も無く、
大して罪悪感も持たず、他の誰かと寝る。
そういうことが当たり前になっているうちに、
私達は大事な辛さや切なさや淋しさを、忘れてしまった、気が、する。




アーティスト: チェッカーズ, 康珍化, 芹澤廣明, 売野雅勇, 藤井郁弥
タイトル: THE CHECKERS

戻れなくなってしまった

一度体がふれあってしまったら、
もう元のようにしゃべるだけの関係には戻れなくなってしまった。
(田口ランディ「スカートの中の秘密の生活」幻冬舎文庫より)



女は、そうなのだ。
よっぽど行きずりで一度限りの関係で無い限り。
一度体を許した相手は、特別な相手になる。
……でも、男はそうではなくて。
男は基本的に誰とするのも、一緒
(ただ、一度寝た女を「自分のモノ」扱いする傾向はあるが)。
体が触れ合う前も触れ合った後も、
まるでそのことが無かったかのように振る舞うことが出来る。
何て薄情な生き物なんだ!! と思うけれど、
まあ、男は精子をばらまかなきゃいけないから、
仕方が無いのかな……。
でも、それだと、女は、ちょっと寂しいぞ。
よっぽどでなけりゃ、女が体を許すのは特別な相手、だけなのだから。




著者: 田口 ランディ
タイトル: スカートの中の秘密の生活

ついに

それでも、デルブリュックはあきらめなかった。
そして、ついに細菌(バクテリア)を
攻撃するウイルスである
バクテリオ・ファージを研究しているエリスに出会う。
(柳澤桂子「二重らせんの私」ハヤカワ文庫より)



自分の説を学会や研究者達に受け入れて貰えなかったデルブリュックが、
それでも自分の説を諦めず、
遂にその説のポイントとなる研究をしているエリスに出会う、
という状況を描いている場面。
正しいことでも、周囲に受け入れて貰えないこともある。
本当のことは、人間には分からない。
また、誰かの真実がそのまま自分の真実であるとも限らない。
だから、これ、と信じたものは(人も)、
諦めちゃ、駄目なのだ。
自分がもう止めよう、と心底本当に思わない限り。




著者: 柳澤 桂子
タイトル: 二重らせんの私―生命科学者の生まれるまで

子供返り

男というのは、
つきあい始めはいかにも人格者を装って寛大で優しくて、
包容力に溢れているのだけど、
つきあいも佳境を過ぎるとだんだん子供返りしてくる。
(田口ランディ「スカートの中の秘密の生活」幻冬舎文庫より)



そう! そうなんだよ!
最初は如何にも紳士的で優しくて包容的で、
「ああ、この人にならちょっと頼っちゃったり、
甘えちゃってもいいかも」と女が隙を見せた途端、
つけ込んできて女の一番おいしいところ(=体)を手に入れる。
そして、付き合っていくうちに何だかんだすったもんだあって、
でも取り敢えずそれらを何とか乗り越えてみると、
今度は幼児返り(精神科的に言うと退行、かな)し始める。
例えば男も一人暮らしをしていて、
自分でだって充分出来る筈の家事を女にさせ始めたりする。
もっと極端な場合になると、
女と二人の時は幼児語が頻繁に出てくるようになる。
或る精神科医は「男はみんなマザコンですからね」と言い切ったし、
先日乗ったタクシーの運転手は、
「結婚したら女は男の母親にもならなきゃいけないからなあ」と呟いた。
どちらも、男性だった。
……まあ、個人的には、外できちんと仕事をしてきてくれていれば、
家の中でどれだけ幼児返りしようと構わないとは思うが……。
でも、経済力だけなら女も充分に兼ね備えている時代。
男は強くあらねばならない、なんて前時代的なことは思わないし、
女に子供みたいに甘えるのも別に悪くないと思う、
でもね、たまには女だって、甘えたいのよ。




著者: 田口 ランディ
タイトル: スカートの中の秘密の生活