愛と憎しみとは同質の感情 | 螺旋階段

愛と憎しみとは同質の感情

つまり愛と憎しみとは同質の感情であって、
ただその表現が裏表になっているのだ。
別の言い方をすれば憎しみは、
相手に対する関心を前提としているだけ
まだ救われているのである。
関心のない相手には憎しみも愛も持ちようがない。
憎しみは醜い関心の形ではあるが、
少なくともそれが突然愛に変る可能性だけは持っている。
(曽野綾子「誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚」角川文庫より)



この文章を読んで、少しほっとした。
自分が憎しみの塊の様になっていて、
自分でも苦しい時が有る。
誰かを憎んでいること自体が苦しいし、
憎しみの感情を持っている自分に罪悪感を感じる。
だけど、この文章を読んで、
ああ、愛されないから、憎むんだな、と思った。
どうでもいい相手を、憎んだりはしない。
少なくとも私の場合は、
愛して欲しい相手に愛されないから、
本当は愛している筈のその相手を憎むのだ。
私は被害妄想的で殆どの人間に嫌われている、
と思いこんでいるような部分があるから、
私が憎しみの塊になってしまうのは当然なのだけれど、
もし私にそれが出来るのなら、
憎しみを愛に変えることが出来るのなら、
変えていきたいな、と思った。
だって、その方が自分も相手も楽になるのは、
分かり切っていることなのだから。
多分、愛されない、という淋しさと切なさに、
耐える強さだけが有れば、愛することが出来るのだ。
そういう強さを、身に付けていきたい。


曾野 綾子
誰のために愛するか―すべてを賭けて生きる才覚