螺旋階段 -32ページ目

環境も才能

「環境も才能だ。
未来の選択肢がある奴など、要らんよ。
しがらみを捨てる必要もなく、
マンガを描くしかないくらい何もないなら、
君は、最高の人材だな。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)



「迷い」という甘えのある境地では、届かない世界がある。
選択する必要もないくらい、純粋に自分の目標を突き詰めようとする姿勢、
それはもしかして余裕の無い追い詰められた姿かもしれないけれど、
追い詰められた人間というのは、想像以上に強かったりする。
追い詰められた女は感情的にキレることが多いように思うが、
追い詰められた男というのはむしろ無口になることが多いようで、
私にはそれがとても恐ろしく感じられる。
(2004)





著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 2 (2)

必要なのは絶望と焦燥感

「かわいそうになあ。気づいちゃったんだよなあ、
誰も生き急げなんて言ってくれないことに。
なあ。見ろよこの青い空白い雲。そして楽しい学校生活。
どれもこれも君の野望をゆっくりと爽やかに打ち砕いてくれることだろう。
君にこれから必要なのは絶望と焦燥感。
何も知らずに生きて行けたらこんなに楽なことはないのに、
それでも来るか、君はこっちに。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第1巻より)



漫然と日常を送っていては、手の届かないものがある。
ありふれた毎日を投げ捨ててでも、どんなに傷付いてでも、
たとえ他人を傷付けてしまったとしても、手に入れたいものがある。
無理をする必要はない、と楽しく面白くあっけらかんと生きる術もある。
本当はその方が自分も周りも幸せなのかもしれない。
絶望も焦燥感も決してポジティブな感情ではないけれど、
焦ったことも無く、絶望したことも無く、
どうやって本当の希望を知るというのだ?
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 1 (1)

何も欲してはいけない

――「彼」は
「彼」は僕に名前を呼ばせなかった
「彼」は僕の名前を呼ぼうともしなかった
きっと、僕は何も欲してはいけない
それを「彼」は望まないだろうから
(峰倉かずや「stigma」より)



相手に嫌われるのが怖くて、捨てられるのが怖くて、
自分でも殆ど無意識のうちに(或いは意識的に)、
相手の望むように生きている時がある。
それは、偽りの安寧と幸福をもたらしてくれるが、
所詮それらは偽りのものでしかなく、いつかは破綻する。
だったらもう壊してしまえ、と思う、破壊衝動の強い今日この頃。
欺瞞は、嫌いだ。でも、人間には嘘を吐かざるをえない時もある。
それが分からないわけでは、ない。でも。
(2004)




著者: 峰倉 かずや
タイトル: スティグマ

神の計画

「神さまの計画の先に立って、何かを考えることはないんだよ。
神の計画が一番いいんだよ」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)



マダガスカルで助産婦として働く日本人の修道女・茜に、
修道士のミシェルが言った台詞。
宗教色の強い台詞ではあるけれど、そうだよなあと思う。
どれだけ人間が考えようが配慮を巡らせようが、
計画を立てようが期待しようが心配しようが、
結局のところ人間の力では一秒先のことだって確実には分かりはしない。
だから、本当は余計なことを考えたり思ったりせず、
神様に、運命に全てを委ねるのが一番いいのかもしれない、と思う。
それに、人間が全てをコントロール出来る、
というのはとんでもない思い上がりのような気もするし。
(2004)


著者: 曽野 綾子
タイトル: 時の止まった赤ん坊〈下〉

にげるんじゃないよ

「カベにぶつかったくらいでやめるのがんばったっていうか!!
ほんとに一生けんめいやってそれでダメならしかたないよ。
でもあんたマジで最後までがんばってないじゃん。
『おれなんかムリですよ』なんてカンタンにみきりつけてさ。
にげるんじゃないよ。
やってもムダだってとちゅうであきらめてんじゃないの。
自分のやれること100%やっちゃいないくせに。
カベがあるならよじのぼってみせなよ。
じゃなきゃ、一生補欠やってろ!!」
(西山優理子「Harlem Beat」第1巻より)



幼馴染みのみずきが主人公・成瀬を叱責する場面。
成瀬って叱られっぱなしだな……。
叱られた時、コンチクショウ!
と思って歯を食いしばれるか食いしばれないかで、
人生は大きく変わる、と思う。
どうせ自分なんか、と思うくらいなら、
窮鼠猫を噛む勢いで挑んだ方が良い。
無様でも、みっともなくても、必死で足掻いた方が良い。
その結果が望むものではなかったとしても、
足掻いた軌跡はきっと未来を導く道筋になる筈だから。
(2004)




著者: 西山 優里子
タイトル: Harlem beat (1)

俺だけの味方

「――俺は生まれて死ぬまで、
俺だけの味方なんだよ」
(峰倉かずや「最遊記」第1巻より)



自分の味方ですらない人間が、
他の人間の役に立てるわけがない。
自分が他の人間の役に立てると信じ切っている人間は、
どこか胡散臭い。
だったら、こう言い切ってしまった方が、
寧ろ正直で誠実なのではないか、と思う。
(2004)




著者: 峰倉 かずや
タイトル: 最遊記 (1)

辛いわよ

「思い込みだけで生きてると、辛いわよ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)



思い込みだけで生きていると、
次第にそこから抜け出すこと自体が恐ろしくなってくる。
色眼鏡を外して、ありのままの世界を見ることが恐ろしくなってくる。
現実に直面することが出来なくなっていく。
そして、自分が辛くてもその思い込みを捨てられなくなってくる。
一歩踏み出して、新しい世界に飛び込む勇気が無くなる。
……それじゃ、駄目なんだよね。
ちなみに、精神科において現実を見ることが出来ていない患者さんに、
いつ現実と直面して貰うかは意外に重要な問題である。

薬物によって精神症状が消失し、
それによって患者さんが現実に直面してしまう現象を、
「めざめ現象」(awakenings)と呼ぶ。
勿論これはオリバー・サックス原作の映画、
「レナードの朝」(原題は「Awakenings」)
という映画の中のエピソードから名付けられたものである。
「レナードの朝」は良い映画なので、まだ見ていない人は是非観て下さい。
(2004)





著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 2 (2)

逃げないこと

恐れることより受け止めることね
強くなることよりも逃げないことね
(篠原美也子「河を渡る背中」/アルバム「everything is passing」収録)



強くならなきゃ、弱いままじゃ駄目だ、強くならなきゃ、
それこそ強迫的にそう思っていた。
でも、ふと気付いた。強さよりも必要なのは、
弱い自分から逃げ出さないことではないのか、と。
そう思うと、ほんの少し生きることが楽になった。
(2004)




アーティスト: 篠原美也子
タイトル: everything is passing

私が思う 私

Wo 私が思う 私など
Wo どこにも いやしないから
(ZABADAK「飛行夢」アルバム「飛行夢」収録より)



私自身が認知している私、というのは私自身にしか分からないもので、
実は周囲が認知している私の方が本当の私なのかもしれない、
と思う時がある。
私自身の認知というのは必ずしも真っ直ぐで真実なわけではなく、
周囲の人間が客観的に捕らえている私が本当の私ではないか、と。
そう考えると、この言葉は大変意味深い。
(2004)





アーティスト: ZABADAK, 小峰公子, 松田克志, クリス・モスデル, トミー・スナイダー, 吉良知彦
タイトル: 飛行夢(Sora tobu yume)

手、離さないから

「うん。ごめんね。大丈夫。
手、離さないから」
(オオノサトシ「HEAVY NOVA」Plantationより)



繋いだ手を、自分からいつも離したくなる。
自分の手を握ってくれている手を、
いつか離されるのでは
ないか、と思って、離されることが怖くて、
自分の方から離してしまう。
でも、それは違うんじゃないか、と最近思い始めた。
振り払われたのならともかく、握ってくれている、
もしくは握ることを許してくれている手を、
自分から離すことはないんじゃないか、と。
(2004)