螺旋階段 -31ページ目

神は

「この子は死んだほうがいいとお思いになれば、
人間が死ぬことを祈らなくても、
神は連れて行ってくださるよ」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」より)



重度の心身障害を持ち、苦しみながら生きる娘を生かすことが、
いいことなのか、悪いことなのか分からない、と言う小木曽に対し、
ジャン・パブティスト神父が言った言葉。
私はとても迷い易くて、考え込み易くて、悩み易い人間なのだけれど、
最近は全ては神様が決める、と思うようにしている。
どれだけ考えたって、最後は神の御意志に委ねるしかないのだから。
こう思えるのは、信仰を持っている者の特権なのだろう。
(2004)




著者: 曽野 綾子
タイトル: 時の止まった赤ん坊〈下〉

これでいんだよ

「…このイルカもさ。今日オレ達がここに来たから会えたんだよな。
紙の上は時間も人物も自由に描けるけど、
今日のイルカも今日のお前も今日で最後だ。
ちゃんと見とかねえとな。だから、いんだよ。
これでいんだよ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻より)



締め切りが翌日なのに未完成なネームを放り出して、
久美子と動物園にやって来た主人公・町蔵が、
ネームを仕上げに帰ろうと主張する久美子に言った言葉。
一番貴重なのは未来でも過去でもなく、
今この瞬間とこの瞬間に一緒に居る人達なのだ。
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 3 (3)

答えなど、無い

答えなど、無いのだ。
(篠原美也子HP「Room 493」掲載「シノハラミヤコのノーコンエッセイ
『行き先はボールに聞いてくれい』第51球」より)



私は偏差値は高いけれど実際に生きていく能力が低いというか、
社会適応が悪い、いわば「偏差値馬鹿」とでも言うべき人間で、
全てのことには明確な答えが有ると思い込んでいた。
受験の答えには必ず明確な正解が有るように。
けれど二十代も後半に入って、
ようやっと人生初めてと言っていいであろう大ずっこけをやって、
それまで築いてきた仕事や人間関係を派手に破壊してしまってから、
この言葉が身に染みるようになった。
その大ずっこけは誰の所為でもなくて、
ひたすら私自身に問題があったのだけれど、
しかし、本当は正しい答えなど、無いのだ。
在るのは、どうしようもない現実だけ。
別にそのことを今は悲しく思ったりはしていない。
どうしようもないものはどうしようもない。
それはそれで受け入れるのもひとつの強さじゃないんだろうか、
と思ったりしている。
(2004)


「Room493」http://www.room493.com/index2.htm

ここはなんてあたたかくて

ここはなんてあたたかくて
静けさに満ちているのだろう
すこしだけ眠ろう
慣れてしまえばきっとここにもいられなくなる

束の間で はかなくて
その記憶で生きて行く
(篠原美也子「ここはなんてあたたかくて」アルバム「bird's-eye biew」収録より)



どれだけ居心地のいい場所でも、定住出来ない性分がある。
私は子供時代父親の仕事の都合で転居を繰り返した所為か、
一つの部屋に2年も住んでいるともう別の所に行きたくなってしまう。
それは現状に不満があるから、というより、
身に付いてしまった性分のようなものだ。
やはり同様に父親の仕事の都合で子供時代転居を繰り返した向田邦子氏も、
エッセイの中で似たようなことを書いておられた。
誰が悪いわけでもない、
それでも居心地のいい、あたたかい場所に落ち着けない。
だけど、そのあたたかった束の間の記憶が、
その後ずっと支えになってくれることもある。
(2004)





アーティスト: 篠原美也子
タイトル: bird’s-eye view

意外と見つけてもらえる

「…声出しゃ、意外と見つけてもらえるもんなんだよな――…」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻より)



見捨てられたと思っているけれど、
本当に本気で助けを求めたのだろうか?
自分の声で叫んだのだろうか?
それもせずに自分は阻害されていると思うのは、
きっと、ただの被害妄想だ。
助けを求めて誰も手を差しのべてくれないのは、怖い。
自分が見捨てられていると確認するのに等しい。
でも、声を出さないと誰も気付いてくれないよ?
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 3 (3)

あとどれくらいだろう?

狂おしいほどに思い思われる恋が出来るのは
あとどれくらいだろう? 急にそんなことを考えた
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「秒針のビート」より)



女には賞味期限が有るんだ、と気付いたのは最近のことだ。
こんなことを書くと、
女性の権利を擁護しようとしている人には怒られるかもしれないけれど、
しかし確かに事実として女に賞味期限は存在する。
人間の男が純粋に雄として生きていられる時間は結構長いけれど、
生まれた瞬間から有限の卵子を抱えて生まれてきて、
あとはどんどん古くなっていくその卵子と一緒に生きなければいけない女が
雌として生きられる時間は限られているのだ。
勿論医学の進歩やら何やらでその期間が長くなったりはするし
(実際昔は30歳を超えると高齢出産と言われたのが、
今では医学が進歩して、
35歳を超えなければ高齢出産という扱いにはならなくなった)、
でも現時点では女が雌でいられる期間というのは驚く程に短い。
だからといって、女は損だとか、男の方が得だとかは全く思わないけれど。
(2004)




アーティスト: 篠原美也子
タイトル: 種と果実

今のまんまじゃ駄目

「…久保田さんはぁ、今のまんまじゃ駄目なんスよ。
こんなトコでこんなふうに野垂れ死んじゃ駄目なんスよぉ。
俺はぁ、久保田さんに、生きて」
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第1巻より)



チンピラ小宮、最後の言葉。
そりゃあ最後に文字通り命懸けでこんなことを言われたら、
如何に飄々としている久保田だってマジになりますぜ、という感じの台詞。
誰かに、命懸けで、こう言われてしまったら、人生変わるよね。
やっぱり命懸けの言葉というのは重いんだなあ、という一言。
(2004)





著者: 峰倉 かずや
タイトル: WILD ADAPTER 1 (1)

今日こそは

今日こそはあとがきを書かなくちゃ
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第4巻後書きより)



生きていれば、
自分の納得のいかない結末を受け入れなければならないことも多い。
終わりを受け入れなければいけない時がやって来る。
どんなに辛くても、不本意でも、それが現実ならば。
それでも、歩き続ければ、リベンジのチャンスはある筈だ。
生きてさえ、いれば。
歯を食いしばって歩き続けることが、必要なのだ。
(2004)





著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: 極東学園天国 4 完 (4)

済んじゃったこと

記憶も記録も済んじゃったことだから、
あんまり変わらないかもね。
(B'z Unreal Music「B'z ELEVEN」より松本孝弘の発言)



……そうね……。あんまり変わらないかもね……。
どっちもどうでもいいもの、なのか?
過去は白い砂の上に点々と続く足跡のようなもので、
それは確かに歩んできた軌跡で貴重なもの、
唯一無二のかけがえのないものではあるけれど、
それ自体が未来に導いてくれるものでは、ない。
(2004)

何も学んでいない

最良の看護を行う上には患者のことを知らなければならないが、
私たちは自分が話をしているあいだは、
他の人のことについて何も学んでいないということである。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)



喋ってないと、不安になる。
喋っていない自分はまるで存在していないかのようで、怖くなる。
でも、患者さんの話はちゃんと聞こう。
患者さん相手に話さなければならないことなんて、本当に少ししかない。
だから、ナースは患者さんの話をじっと聞いているだけでいいのだ。
……これは、本当は私生活にも当てはまるものなのだろうけれど……、
でも、やっぱり患者さん以外が相手だと、
喋らずにはいられない自分にふと気付いてしまったりする。
(2004)




著者: GENEVIEVE BURTON, 大塚 寛子, 武山 満智子
タイトル: ナースと患者―人間関係の影響