「きょうも生きのびた」 | 螺旋階段

「きょうも生きのびた」

村上 本当は「きょうも生きのびた」というだけで人間は勝利なのに、
この国ではそのほかにいろいろ要るんですよ、
生きがいとか恋愛とか、老後の保障とかね。
それも何かおかしいと思うんです。
生理的にそういうのが嫌いだったんです。
(村上龍/村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ/文藝春秋より)



この思いには、とても共感する部分が有る。
特に、恋愛に関して。
彼氏も彼女も居なくたって、生きていくのには何も困らないのに、
どうして彼氏や彼女が居ない人間は残念そうにしたり、
どこか恥ずかしそうにしなければならないのだろう、
と思春期の頃から思っていたし、今も思っている。
純愛ドラマの流行にしても、
日本全体が「恋愛依存症」になっているんじゃないか?
……でも、恋愛自体は、素晴らしいものだと思う。
普段とは違うワクワクした高揚感や、
ドキドキする緊張感が味わえる
(そしてその結果女は妙に綺麗になったりもする)。
だけど、そこに依存しては、いけない、のだ。
生き延びただけで、人間は勝利。
この言葉は、とても清々しい。



村上 龍, 中上 健次
存在の耐えがたきサルサ―村上龍対談集